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メンタルヘルス・健康経営相談室

 

産業医科大学
産業医実務研修センター
柴田 喜幸(しばた よしゆき)先生


 みなさん、こんにちは。学校法人産業医科大学の柴田と申します。 
 一般財団法人あんしん財団と学校法人産業医科大学が行っている中小企業のメンタルヘルス問題の共同研究の代表をしています。
 
 さて、今回から始まるこの企画は、これまでの連載(「健康経営ゼミナール」※1など)の続編として、一般財団法人あんしん財団が2019年2 月に開催した「メンタルヘルス対策シンポジウム」 等で寄せられたご質問や課題を中心に、共同研究メンバーが 分かりやすく解説をしていきます。

 2020年3月まで、毎月20日(予定)に計6回シリーズで掲載します。
 毎回執筆者やトピックを変えてお送りします。お付き合いください。


 
第4回 「部下の残業時間を新しい視点で減らそう!」


執筆:酒井 洸典(さかい こうすけ)先生
産業医科大学 産業保健経営学研究室

Question
  早く帰るように言ってもなかなか残業時間の減らない部下たちに対して上司ができる工夫はありませんか

   

 働き方改革時代。24時間働けますかの時代は終わり、いかに生産性の高い仕事をするかということが求められています。
 
 そうはいっても、多くの企業では受注がある限りは、売り上げを減らすわけにはいかず、トータルの生産量は減りません。1人当たりの負担を減らすために新しい人を雇用するにもお金がかかるし、雇用しても仕事に慣れるまでは教育する必要があります。

 このような状況を総括すると、今働いている従業員に効率よく働いてもらうしかありません。

 そんな時に有効な解決策のヒントは最近話題の「行動経済学」にあります。
 2002年にダニエル・カーネマン氏がノーベル経済学賞を受賞したことをきっかけに日本でも話題に上がるようになりました。町の本屋さんに行くと行動経済学に関する特別コーナーが設けられていることもあります。

 今回は行動経済学に初めて触れる方にもその有効性と汎用性をわかりやすい言葉で伝えたいと思います。

 
 
1つ目に紹介するのは時間選好というものです。
 将来の利益よりも目の前の利益に飛びつく性格を意味しています。

 朝のうちにやろうと思っていた企画書の作成より、本棚の整理を優先した結果、企画書の完成が夜中になってしまったというのは、一つの例です。

 ここには、夏休みの宿題を先延ばしにしているうちに新学期直前になるということと同じ原理がはたらいています。全員がそうではないかもしれませんが、残業が多い人にはこういった性格の人がたくさんいると考えられています。

 残業の全面禁止が現実的解決方法でない場面で、その日の締め切りを設定することで残業時間削減を達成しました。ある企業では残業を禁止にする代わりに、朝早く出勤することを許可したことが功を成しました。

 加えて、上司として従業員への仕事の振り方でも有効な方法があります。
 3件の報告書の締め切りをまとめて同じ日にするのではなく、締め切りまで日数を3つに分割し報告書毎に締め切りを設けると従業員自身が正確な進捗を把握できるようになり、結果として期日内の提出率向上が期待できます。

 性格傾向をあらかじめ想定して、はやめに対処できるように仕事を分割することで、仕事の負荷を一定期間に分散させることになるのです。


 
2つ目に紹介するのは同調効果というものです。特に日本人はまわりがどうしているかということに影響されやすいと考えられています。その影響のされやすさを利用した情報を発信することが有効だと考えられます。

 「今月の残業時間45時間超の人は〇人でした」と公表することよりも「昨年同時期に残業時間45時間超だった人のうち90%が残業時間削減に成功しました」と公表することで会社の大多数の従業員が残業時間を減らしていることが伝わります。

 この言い回しはフレーミング効果とともに語られ、同じ意味の内容でもどのように伝えるかによって相手に与える印象が違うことを利用しようというものです。

 具体的には医療現場などではよく取り上げられています。「この手術で生存する確率は90%です」と言われるのと「この手術で亡くなる確率は10%です」と言われるのとでは前者の方が手術を受けることにためらいを感じにくいとされています。

 
 3つ目は仕事全体量を減らすための策を検討したいと思います。
 今回の質問では難しいことが前提とされていますが、行動経済学でその前提に突破口を探していきましょう。

 行動経済学にはナッジ理論と呼ばれるものがあります。以下にご紹介する事例をヒントに皆さん自身の仕事改善へのヒントを探しましょう。

 1999年、様々な人々が行き来するオランダのスキポール空港である実験が行われました。男子トイレの使用状態がわるく、衛生環境を維持するのに多くの清掃費用がかかり、空港職員はとても困っていました。

 そこで、小便器の下に一匹のハエが飛んでいる絵を描いたシールを貼ったところ、トイレの清掃費は8割のコスト削減が達成されました。

 シールは「人は的があるとそこにねらいを定めたくなる」という人間の特性を利用したものでした。ただシールを貼るだけのアイデアと工夫で大きな効果が発揮されるということがわかりました。

 コンビニのレジ前の床にはってある矢印のシールもそれです。「人は矢印をみるとその方向を向いてしまう」という特徴をつかんでいます。並んでくださいと誘導する業務はこれによって削減されることになります。

 ここで紹介したもの以外にもインターネットで検索しただけで、多数の事例が見つかります。それらを総括すると行動経済学の効果は以下の5つがあると考えています。

 
 仕事そのものの質や量を改善する効果 
② 
 社員の仕事の取り組み方を改善し、効率的にかつ安全に仕事を行う効果
③ 
 職場でのコミュニケーションを活性化する効果 
④ 
 社員が自身の性格傾向を知り、健康や安全行動を即す効果
⑤ 
 職場を働きやすい環境にする効果

 もちろん職場が違えば、労働状況は大きく違います。そのため、他の場所でうまくいったものをそのまま取り入れても有効でない場合があります。

 いろいろなアイデアの宝庫に触れ、普段とはちょっと違ったアプローチで職場の働き方改革へのチャレンジをしてみてはいかがでしょうか。

 冒頭のお悩み相談へ行動経済学の知見を活用すると、仕事量を減らすナッジを探し、トラブル時に慌てないように仕事の締め切りを分割する。そして、多くの社員が残業を減らしていることを強調すること、などの対策になるやもしれません。

 読者のみなさんが行動経済学を学び、部下の残業時間削減が達成されることを期待しています。


【参考文献】
 ・リチャード・セイラ―「セイラ―先生の行動経済学入門」ダイヤモンド社
 ・ダニエル・カーネマン「ファスト&スローあなたの意思はどのように決まるのか?」(上・下)ハヤカワ・ノンフィクション文庫
 ・ダン・アリエリー「予想どおりに不合理」ハヤカワ・ノンフィクション文庫
 ・大竹文雄「行動経済学の使い方」岩波新書
 ・佐藤雅彦「行動経済学まんがヘンテコノミクス」マガジンハウス







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